どうも色々な人と付き合ったり、出会ったりする中で、私のことが嫌いな人の多くは目をあわせようとしない傾向があると思います。もちろん好き嫌い以外で忙しくスーパーのレジの人が目を合わせてくれなかったりするのもありますが(個人的には笑顔でいますが少々ガッカリに思いますね。しかし仕方ないです。自分も毎日笑顔でないですから。人のことは言えないです。)。でも直感的に、感覚的に、いやむしろ敵意を持った相手の場合は顔も見たくないのが歴然とした反応として示すことが多かったと思います。(つまり、視線を合わさないで泳がしたり、逃げたりすること)この話は或程度長期で関係を一時的に持っていた場合ですね。(職場でとか学校でとかという場合ですね)そういう方は大概目を私から投げかけるとそれから反らす傾向がありますね。まあ直訳すれば顔も見たくないのよと。そういう意思表示が目に現れ、最悪の場合は顔と口に表現されるとなると。いった感じですね。人間関係は難しいですが、個人的にはどうかなと思いますね。まるであんたとは会いたくないからという一方的な遮断。絶対的な拒絶に近い反応。私のことを一里塚的なものの考え方でいいところを見ないし、評価もしない。私が嫌いなら仕方ないですが、せめて業務なのだから通常儀礼くらいの応接態度はしていただきたいなと思ったりしましたが、人のこといえないしなと自分なりにモヤモヤ。目を合わせてくれる方は(大概ですが)私に好意があったり、拒絶がなかったりする場合が多いように思います。赤の他人との関係の中でもちろんその人が目をそらしたい個人的事由があるのでしょうが、印象はよくないし、ビジネスライクの場でもなんだか否定的な雰囲気でこちらとしてはどうかなと。年齢差が極端な方は特に年下の若造と対等に話したくないがために、上司が部下を軽蔑するために視線を合わせないなど色々あると思いますが、なかなか自分の中では『あっ、この人は私が嫌いなのかな』とか『あっ、あわせたくないんだ』と思って聊かなんともいえない気持ちになりますね。まあそういう私も小中時代は大勢の前で原稿に目をやりながら読んでいて、他の方とそれこそ恥ずかしくて目を合わせられなかったくらいの上がり症の人間でしたから他人批判はできない部分をもってますね。でもやはり顔を見て話したほうがお互いに信頼できるのかなと。私のことが苦手(凄く嫌いな人も何人か出会いましたが、目は絶対に天井に向かってましたね大概の方は)はもう生理的な反応としてもう視線を下にすえるか、天上にするかでしかみてくれてなくて私という人間は存在して欲しくないような感じでした。まあそれが本心なのは目の反応以外でも窺がえたのですが。
わたしも部が悪い話などは視線を避けそうになったりしますからあれなのですが、やはり苦手なんだろうなという印象は持ってしまいますね。年齢差や男女など色々ありますが、やっぱり信頼できる、できないは顔をお互いに見て話すことからかなと思います。私は自分から率先して今後もできる限り努力していきたいなと思っています。(笑顔でつき合っているからといって私のことを憎悪しない人間がいないとも限りません。でも私はその人の視線とEYEコンタクトを信じるだけですね。)
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